空き家活用起業ファンド

空き家活用起業の支援ファンド設立という記事がアップされていたので取り上げてみたいと思います。

"空き家活用起業の支援ファンド設立" 朝日新聞DIGITAL

https://www.asahi.com/articles/CMTW1904152200003.html

設立された地域は【飛騨高山】でして、岐阜の中部、山の中で朝市などで有名な観光地、というイメージでしょうか?高山祭りと呼ばれるお祭りには屋台と呼ばれる山車が出て華やかなお祭りだなーという印象でした。

飛騨高山観光公式サイト

http://www.hidatakayama.or.jp/

観光地・飛騨で空き家ファンドを立ち上げたのは地元の信用金庫である高山信用金庫が主体となっています。

やはり地元に根付いた金融機関は、地域の中小零細企業などの事情をよく知り、その問題点も客観的に把握しているところが多いのでしょうから、こういった地域の社会問題を解決するには欠かせない存在だと言えます。

具体的にどうするかというと、飛騨高山の空き家を利用して、観光や飲食業を行う事業者には投資という形で資金を用意し地域の発展に寄与するという流れです。

投資という形を取る事で、借入のように最初から元本の返済を迫られることなく、事業に専念できるメリットがありますが、逆に金融機関から見た場合は貸付ではなく投資であるので、非常に大きなリスクを背負うと共に事業計画へ意見を出しやすい環境なのかなとも考えられます。

しかし大事なことは、事業の発展と継続であるはずなので、ある程度長期的な投資と割り切って資金提供してくれるのでしょう。

空き家の利活用は今まであまり実施されてこなかった事だけに、きっと誰もが手探り状態であると思います。

その際、貸付ではなく投資であるという資金提供は本当にありがたいのかなと素直に感じます。

また、飛騨高山という地域柄なのか観光及び飲食業という業種に絞っているのも興味深いです。

地域の産業と連携が取りやすいうえに業種を絞る事で投資の審査もより深くする事ができるのだと思います。

逆に言えば、相当事業計画を練った上での申請でないとなかなか審査は通らないのかもしれませんね。

しかし、事業の内容について深く考えずに安易な起業をしてしまい、結果失敗をして人生を狂わせてしまうよりも、しっかりした審査の上で自分の描いた事業計画が投資に足るものなのか無料で審査してくれるのです。

仮に、その事業計画が認められずに審査を通らなかったとしても、それはそれで実力不足や計画性の甘さを事前にアドバイスしてくれたと思えば、非常に安いチェックコンサルティングになるのではないでしょうか?

実際、事業が上手く行かなかった時には、貸付ではなく投資という立場の信用金庫も、そのお金が返ってこない場合まる訳ですから、もしそうなれば多大な損失を被る訳で、これは起業家と信用金庫、本気と本気のガチンコ勝負なのではないかと感じます。

それではこの辺でまとめたいと思います。

飲食店や観光施設に特化しての投資というのは、飛騨高山という特性を活かした空き家対策であり、貸付ではなく投資であるというのは、この地域を身を切って盛り上げていくぞ、という気概のようなものを感じます。

こういった取り組みは、日本中様々な地域で応用できるスキームであると感じますし、観光を軸にした飛騨高山の取り組みを自身の地域に応用するならばどうすれば・・・という視点で考えていくと、何だかアイディアがドンドン湧いてくるのではないでしょうか?

空き家や空き店舗が面白くて素晴らしい起業家に借りられて地域が発展するのを、そんな成功事例が日本で話題になるのを、願ってやみません。

お墓参りをIT風に


「墓参りをする意味」をIT風に説明するたとえ話が秀逸と話題に!という記事があったので考えてみたいと思います。

https://news.nicovideo.jp/watch/nw5063316

記事によると、亡くなったおじいちゃんはクラウド上に居るのだそうで、もうそこから笑みが出てしまいますね。

確かに、風になって吹き渡っているという歌も流行りました。あの曲はどちらかというと仏教的ではなくシャーマニズムを感じる歌でしたが、それはそれとしても、故人は物理的に存在しているのではなく確かに記憶とイメージの中、脳波という電気信号の中に居ると言ってしまえばまさにピッタリです。

そして、自宅の仏壇はスマートフォンなどの端末で、お墓はサーバーを意味しているのだそうです。
ここまで聞けば何となくお墓参りの意義が見えてきました。

私達は仏壇などの前で手を合わせる事で、気軽に故人と向き合う事ができますが、それはとてもライトな、言ってしまえば日常の行いのひとつにすぎないという事なのでしょう。

そして稀に例えば春や秋のお彼岸、盆や正月の節目にお墓にお参りし、そこまでの気持ちを一気に整理する、いわばサーバーをメンテナンスする、という事なのでしょう。

私の母は70歳を越えましたが、今でも仏壇にお供えする一口のご飯とお味噌汁はこまめに変えていますし、春と秋のお彼岸、お盆、正月にはお墓参りをシッカリと欠かさずしています。

色々と義務感を感じての事だと、実は義務感の方が高い比率を締めているのかもしれないと思う時もありますが、母は母なりに夫の先祖に対して思う所があるのでしょう。子供ながらそういうところは尊敬しています。

しかし、そうして守ってくれているからこそ、気軽に(とは言い切れませんが・・・)お墓に私たちがお参りする事もできるので、これが墓守がいない草が生い茂って墓石も見えない状態だったなら、お墓は縁遠い存在になっていた事でしょうし、その状態のお墓を目の当りにしたら、次回以降マメに行こう!と決意を新たに出来る自信も、正直なかったりする現実もあります。

仏壇がスマートフォンなどの端末、と記事にもありますが、私はふとした時に開いたアルバムや亡き家族を思い出すシチュエーションなんかも、故人への思いという形でクラウドにアクセスするのならば、スマートフォン端末と同じ役割を果たしているのかなと感じています。

その不意の瞬間にアクセスしようとしたクラウドへ繋ぐサーバーが草だらけだったら・・・?亡き家族のイメージと共に荒れた墓地のイメージも浮かんできてしまったら・・・?ちょっと負い目を感じてしまうと私自身は思います。
お墓参りはサーバーを良好な状態に維持し、ふとした瞬間に故人の記憶というクラウドにアクセスするとき、スムーズにかつきれいにイメージできるようにする必要な行動なのかもしれませんね。

もちろん、これは個人の感想であって、誰も強制できる事でもありませんしするつもりもありませんが、大規模霊園で全く墓参に訪れなくて荒れてしまっているお墓が約3%程度は存在するというお話を聞いた事があります。そのお墓は一体どうなってしまうのでしょうか?

お墓参りを面倒くさい、疎ましい、誰が得するのか、と思ってしまう気持ちはけっこう共感してしまう自分がいるのですが、それでも、ふとした時にイメージする故人への気持ちをクリアな状態にするために、これはとりもなおさず自分のために、これからも続けていきたいなと感じました。

もっとも、そうは思っても物理的に行けない理由を抱えていらっしゃる方は大勢いると思いますので、もし、そういった理由でお墓参りを代行されたい方は、お気軽にお問い合わせ下さればと思います。

仏壇はなくとも故人を思い出すきっかけはどこにでもあるのですから、その瞬間はきれいにアクセスしたいですよね。

空き家は宝か"負動産"か

空き家は宝か"負動産"か街の未来を変える「空き家問題」の前途

https://logmi.jp/business/articles/320967

という記事がウェブ上に上がっていたので考えてみたいと思います。

まず、地方創生とセットで考え、それを実現できる人材を育成していく、という事ですが、これは素直に賛同します。

これは全国各地、津々浦々、どこでも問題意識として挙がっている事で、とりたてて新しい考え方ではないのですが、それを本気で動かそう、実行しよう、という観点で話をされている方は、けっこう稀なのかなと感じました。

まちの規模としては小さい所が成果としては上がっていて、中堅クラスのまちではなかなか成果が出ないとおっしゃっています。

これは地方に住む者として非常に納得です。中堅クラスのまちは、なまじ中堅なだけにまち全体での危機意識が足らないという事と、見えない利権のようなものが非常に複雑に絡み合っていてどこから手を付けていいか分からない、下手に手を出そうものなら住民の大反対や妨害などを受けて頓挫してしまう、というケースが容易に予想されます。

少人数で自力ではどうしようもない事を嫌という程認識している小さなまちほど、新しい動きに対して逆にコンセンサスを得られやすいのかな、と感じました。

次に空き家はマネタイズ(現金化)が難しいという問題。議論ではサブリースなどについて有用性が話されていました。

これは積極的な賛成ではないですが、確かにそういうシーンしか利益を上げていく事は難しいのかな、個々で動いてはスケールメリットなども見いだせないのかな、と感じています。

手数料商売という不動産業の仕組みをどう変えていくかというのは今後の課題なのでしょうが、そういう大きな仕組みを打ち壊して新たな可能性を見出す事は本当に簡単な事じゃありませんし、昨今のニュースなどで取りざたされているように、サブリースは悪徳商法などの危険性もはらんでいるのは確かですが、これは素人が太刀打ちできない問題でもあり、シッカリと精査した不動産のプロに委任するというのは現状では仕方ない事なのかなと感じました。

そして空き家を活用してのまちづくりです。これは可能性あるなと感じました。

空き家を利用して障がい者施設や高齢者施設などを誘致し、そういうまちを作り上げ、コンパクトシティの更にコンパクトなものを形成し、その中である程度利便性を上げていくという流れは、一見可能性高そうだなと感じる事ができました。

ただ、この流れでまちづくりが立ち上がったとしても、最終的にはいびつな住民構成になり、長く続いていくまちにはなりにくいのかなというのは記事にもありましたし、私も地元の古い大規模住宅地を見ていて思っていた事でした。

次に大きな核となる施設。廃校や廃工場などの再利用を成功させるには、円滑なコミュニケーションによって、文化を受け継ぎつつも、しっかりマネーの仕組みは整えるというご意見が記事には載っていますが、これは少し違和感を感じました。

大きなまとまった空間を利用するのならば産業の拠点として使わなければ勿体ないな、と。核になる産業があってそれに従事する住民がいて、町が形成されていく、という無理のないまちの発展や継続の仕方はやはり不動の安定感なのかなと感じました。

「いやいやその産業が衰退したからまちが寂れて空き家が増えたんだろう」というご意見もあろうかと思います。もっともです。だから、そういった核になる大規模な床面積を持つ施設を安価に貸し出して産業を呼び込み(あるいは創成し)まちを形成していく方法を模索する事は、他の様々なトリッキーな手法と比べても全然可能性が高い事なのかなと感じています。

移住じゃなくて交流人口系。という言葉で記事はまとめられています。

無理なくまずは動いてみる、そういう事には最適なアクションなのかなと感じました。

いずれにせよ、多くの地方で問題になっている空き家問題を解決する方法が早く見つかるといいですね。

それまで、空き家の見回り管理はわれわれのサービスで社会貢献活動として利用して下さればあ幸いです。

 

少子化日本の墓問題

一人っ子同士で祖父母の代4つの墓守りも?少子化日本の墓問題

https://www.mag2.com/p/news/386570

という記事がインターネットにあったので考えてみたいと思います。

この記事では、「自分は本家の長男だが墓守をしたくない」というご相談に対し、人気コンサルタントの永江一石さんとおっしゃる方が「自分は葬式も墓も不要だ。子供に迷惑をかけるし別にありがたくもなんともない。あなたもご両親に墓守をしたくないとご相談されてはどうか?」とご回答されています。

なるほど、簡潔で合理的で今の時代を反映したご回答であると感じます。

避けられないトレンドとして、これからお墓は都市部から徐々に減少して行くものと思われます。そして既存の墓地も墓じまいを行う所が増えて来るであろうと思います。

しかし、完全に無くなる事は無いでしょう。それは墓守=嫌なものという価値観の人間ばかりではないという事でもありますし、歴史的に経済的にお墓を維持できるのであればする方の方が圧倒的に多いのではないかと推察するからです。

日本の国民全てにとって、墓を守ったり墓参りをしたりする事は嫌な事足り得るでしょうか?答えはノーです。実際、私自身は墓参りをすること自体に、それほど負担を感じていませんし、むしろ今の自分と対峙できる貴重な機会とすら思っています。

先祖の前で手を合わせ、自身の近況を報告しようとした時、その思念に嘘はつけません。どんなに常日頃、自分自身をも騙しながら生きているのか、そうして先祖と対面するとよく分かります。色々良い事を報告しようとしても、普段ベールで包んでいる嘘や上方修正した感覚が剥ぎ取られ、全くフラットで素の自分を報告しようとした時、出て来る思念は情けないという思いの方が強く、長時間手を合わせていられないくらいの羞恥を感じます。

皆さんはいかがですか?私は敏腕ビジネスマンには遠く及ばない地方の零細経営者ですので、心の底から、自信をもって、一片の嘘偽りなく、社会に自身をさらけ出す事ができていません。お墓参りは素の自分と対峙する貴重な時間でもありますし、草とりや清掃などを行う事で、対峙する準備も整ってくるのかなと感じます。

最近では子供とお墓参りに行く事が多いので、今までの自分の報告に加えて先祖への感謝の念も湧いてくるようになりました。こんな素晴らしい家族に恵まれて感謝します、と。

一方で、お墓参りに掛かる経費もバカにならない方も多いのではないでしょうか?

都心から実家のある地方まで電車で移動し、お墓参りをし、ご近所に挨拶などをしてまた帰る。それも家族皆で。一体、どれほどの経費が掛かる事でしょうか?できる事なら墓じまいをしてしまいたいという思いも、分からなくはないです。

しかし、人間には生物的に必ず両親がいて、その両親にも両親がいて、先祖というルーツを形成しています。あまり機会は無いかと思いますが、この先祖を意識した時、特殊な事情が無い限りは別段悪い印象は抱かない筈で、顔も知らない自身の先祖のエピソードを親戚や近所の方から聞くと、何となく身近に感じたり自身の性格と似たようなエピソードがあって苦笑いしたり、温かな気持ちになる事ができたりするものです。(もちろん、特殊な事情がある方は別です)

そういう話をする機会も悪く無い機会かなと思うのですがいかがでしょうか?

数年に一度はそういう機会を作る。その際にお墓でもないと、なかなか実家のある(あった)場所に戻るきっかけもありませんので、お墓を残す事は、ある意味大事な事も多いのかなと感じる記事でした。

皆様はどのように感じられたでしょうか?今のあなたの感じ方と20年後の貴方の感じ方はどうでしょうか?変わっていたりするものでしょうか?その時お墓の存在が既になかった場合はどのように感じられると思うでしょうか?

 

空き家活用の新サービスについて

空き家活用について新しい試みが記事になっていたのでご紹介します。

 

東京五輪後に「全国住み放題」が広がる理由

空家活用の新モデル、仕掛け人が描く青写真

https://toyokeizai.net/articles/-/269309

 

月40,000円で日本中住み放題。全国の空き家と泊まりたい人をマッチングするサービスだそうで、先行会員として30人を募集したところ、1100人の応募があったとのこと、注目を集めているようです。

こういった空き家の問題では、やはり都心なのか地方なのか?地方でも利便性はどうなのか?という問題は避けては通れない話題です。

事実、この記事についているコメントでも、結局地方の空き家では回転率が悪いので、採算を問題視するものが散見されます。

そうです、空き家の問題で根が深いのは地方の利便性が悪い物件なのです。

 

平成25年の統計なので若干古いのですが、空き家率が最も多いのは「山梨県」で22.0%、次いで「長野県」19.8%、3番目は「和歌山県」で18.1%、4位以下は「高知県」17.8%「徳島県」と「愛媛県」が17.5%「香川県」17.2%「鹿児島県」17.0%「栃木県」と「静岡県」が16.3%となっています。

https://uub.jp/pdr/s/akiya.html

 

こういった地方の空き家問題の場合は、地方で生まれ育った子供が、大学進学を機に都心へ出て行き、そのまま戻ってこない、という構図は、どこも共通しているのではないかと思うのですが、ではその戻ってこない子供を戻すにはどうすればいいのか?や、新たに新規居住者を探すにはどうすればいいのか?ということに、各県の行政は頭を悩ませているのですが、実際にそれが上手く行っているという試みは、今のところごく限られているようです。

そんななか、せめて荒れないように時折使ってくれる人がいないか、という希望を抱いて、Aiabnbのように単発の宿泊をマッチングするサイトに注目するのも分かる気がします。

事実、Airbnbと東京大学が共同で、民泊を利用して空き家の社会問題を解決できないかという研究が2年前から実施されています。

 

空き家×Airbnb=地方創生!? Airbnbと東京大学が共同研究を開始!民泊を通じて社会問題を解決へ

https://honichi.com/news/2017/01/30/akiyachihososeiairbnb/

 

「住む」というレベルでの居住が、引越や近所づきあいなど諸々含めてハードルが高いのであれば、「借りる」というある程度いつでも移動できるという一段低いハードルもありですし、「泊まる」という一夜限りの非常にインスタントな状況でも、日本の世論が受け入れられるのだったら、可能性は非常に高いのかなと感じますし、なんとなくですが今の状況を見ると、受け入れられそうな感覚はあります。

 

しかし、そんな民泊に登録して、年に1回あるか?ないか?の誰か利用を待ってメンテナンスしたりセキュリティーにあれこれ時間とお金を費やすよりも、現在の持ち主が、つまりその家で生まれ育った方やその子供が、年に1回でもいいのでルーツとなるその家に帰省し、掃除をしながら過去の自分や家族を見つめ直す、という絶好の機会になるんじゃないかなとも思います。

それはお墓参りの項でも述べました通り、自分と向き合うとてもいい機会かなと感じます。

 

そうは言っても年に1回じゃ家の中を掃除するだけで一杯一杯だよ、田舎の家には庭があって、草がそれはもう伸び放題なんだよ!

とおっしゃる方がいらっしゃいましたら、そこはそれ、当方のサービスをおすすめして下さいますと、有難いです(笑)3ヶ月、6ヶ月、1年と、ご要望に合わせた間隔を空けてご実家の見回りをさせて頂きます。

 

弔いだってデジタル化!?

【弔いだってデジタル化 四十九日まではロボットで一緒に】

という記事を見つけたのでご紹介します。

https://dot.asahi.com/aera/2017080300083.html?page=1

家族葬という葬式の概念を覆す新しい弔い方法が出てきたわけなのですが、この記事では仏壇を取り上げています。

デジタルによって個人の写真や思い出を映し出す事で、仏壇のように物理的なモノを持たなくても故人へ思いを馳せる事ができる。そういう主旨の記事であると感じました。

確かに、お葬式~仏壇~お墓などで最も大切なのは故人への思いにほかならず、その思いを発露するための装置としてお葬式や仏壇、そしてお墓があるのかなと、そういう物理的なシンボルが、今まではスイッチであったのだけれど、多様性を重視する昨今では新しい弔いの形を模索しているのかなとも感じています。

お葬式では家族葬という全く儀式を執り行わないに等しい葬儀が生まれていますし、お墓も水筒サイズに詰められた遺骨を屋内で格納管理する方法も出てきています。

そしてこの仏壇です。もはやこれは仏壇ではないのかもしれませんが、自宅で故人へ思いを馳せるための装置という視点では仏壇と同じものになるのかもしれません。

もちろん、旧来の仏壇も色々と形を変えながら家族の故人への思いに寄り添えるよう様々なアイディアを提案しています。

【ゆうゆうLife】新「おうち供養」事情 仏壇はモダンにコンパクトに

https://www.sankei.com/life/news/181116/lif1811160016-n1.html

「リビング仏壇」発売へ 手元供養の新しい形提案

https://www.nnn.co.jp/dainichi/news/190123/20190123036.html

奥行きたった9cm!新しい手元供養のカタチを提案するリビング仏壇『Being Frame(ビーイングフレーム)』が発売開始!

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000040665.html

どれもコンパクトでモダンなデザインになっていて、今の住宅事情に合わせたスタイルですし、確かにこんな感じだったら違和感ないのかな?と思わせる作りですよね。

各社知恵を絞っての提案です。

このように、仏壇もお墓も形を変えて来ていていますし、概念そのものを覆すライフスタイルも現れてきている訳ですから、お墓に出向いてお墓参りをするのが常識だった時代も終わりを迎えてきています。

この事業をしていると、これからの需要が・・・市場が・・・そういったお言葉を頂く事が多々ありまして、もちろんそれはこの事業に対する軽いアドバイスであるという事、重々承知しており、感謝の思い出受け止めています。

しかし、しかしです。既に遠隔地にあるお墓はどうなるのでしょうか?近くでも体調がすぐれなくて行けないお墓はどうなのでしょうか?墓じまいをすれば全てチャラなのでしょうか?

それこそ、物理的な問題をクリアしたとしても家族の心のうちに残る思いはどうなってしまうのでしょうか?

その辺りは様々なご意見が有るかと思うので、ここで何か結論を出す事は避けたいと思います。

ただ、世の中にお墓が存在し、そのお参りに行きたくても行けない人がいて、一方で、働くちからがありながら、働く機会が少ない障がい者の皆さんがいて、両者を繋げる事ができている喜びも感じている私たちは、これからもこの「やさしいお墓参りサービス」を続けていきたいな、と素朴に感じている次第です。

もしお知り合いに「様々な事情があって、お墓参りに行きたくても行けない」という方がいらっしゃいましたら、「お墓参りを依頼する事で社会貢献活動になるよ」と教えてあげていただけると、本当にうれしいです。

 

葬式は無くなるのか!?

実はウェブ上でこんな記事を見付けたので皆様にシェアしたいと思います。

「葬式はなくなる? 通夜なし、式なしの「直葬」選ぶ時代に」

https://dot.asahi.com/wa/2019020800014.html?page=1

簡単に言えば、葬式を極限まで簡素化し、出費がほとんど無い状態で故人を送る人たちが増えている、という記事でした。

そういう事は本当に増えていて、そして市民権も得て来始めている。そういう事を感じずにはいられない記事でしたが、一方で、私の住んでいる田舎ではまだまだ難しいだろうな、という思いもまた抱きました。

葬儀というものは本当に不思議です。単純に家族や仲間の死を悲しんだり感情が動いたりするという事自体は、他の動物でもあるのかもしれませんが、葬儀のように何か儀式めいた事を生きている者が行うという行為は、人間にしか到達しえない精神的な感情なのだと感じます。

さらに、宗教の違いによってもその形式や精神性は様々で、我々日本人に馴染みの深い仏教では、葬儀の後7日ごと、7回にわたって弔いのお経をあげ、49日後のいやゆる「しじゅうく」までが一区切りとなっています。

その後、「一周忌」「三回忌」「七回忌」「十三回忌」「十七回忌」「二十三回忌」「二十七回忌」「三十三回忌」「三十七回忌」「五十回忌」「百回忌」と続き、以降、50年ごとに法要を行うというのが、どうやら本筋のようです。

もっとも実際は、なかなかそこまで行えるものではなく、さすがに「誰かと誰かの回忌が近いから一緒にやろう」とかそこまではせずに終えてしまう場合とか、結構見受けられるようです。

話題を元に戻しますが、そんな通夜なし、式なしの直葬では、故人とお別れをしたい第三者は一体どうすればいいのでしょうか?人と人の繋がりが強いようにみえて実は約束事での付き合いも多い田舎よりも、地方から出てきて少しづつ人の交流の幅を広げてきた都心の方の方が、実は切実なのかなと感じます。また、都会だろうと田舎だろうと、お別れしたい人が指で数えるほどというのは、ちょっと何といいますか寂びしすぎるのではないかなとも感じます。一体、人生って、何だったんだ、とか。

そうは言っても現実は、面倒な付き合いも含めて横の繋がりも希薄になってきているし、そういう葬式も通夜もしないという風潮はドンドン拡大していくのかなとやはり確信しています。

一方、先ほども申しました取り葬式を簡素に、いわゆる密葬に近いような形で終えた場合、第三者が故人に思いを送る手段はあまりありません。

知らせを聞いて次から次へとご自宅に押し掛けて、家人の方にご迷惑を掛けてしまうのは本末転倒ですし、家へ伺えないというのであれば、手段はお墓参りしか残されていませんから、どういう形であれ、お墓参りの重要性は高まるのかもしれません。

お墓には眠っていない、風になっている、という主旨の歌が流行りましたが、やはり故人への思いを届けるという行為は生きている人本人にとって意味のある行為であるので、故人への報告や決意を祈る場としてのお墓は、その存在を増していくのかなとも感じています。

あなたの大切な人やルーツになった人、そういった方の葬儀には参加していなくても心に秘めた思いをお伝えする事はお墓参りによって可能なのではないでしょうか。

もちろん、なかなかお墓まで出向けない事情もありますので、お墓の清掃は代行させて頂き、その思いを伝える、そういった瞬間をもお届けできるようなサービスも行っていますので、お墓参り代行をお考えの方で、でも実際に手を合わせないとマズいんじゃないかな・・・と思っている方がいらっしゃいましたら、ぜひお伝えいただけたらと思います。

お墓参りの心構えについて雑感

お墓参りをする時って、みなさんはどんな事を思いますでしょうか?

私は、現在の自分が置かれている状況の報告、そして前へ進んでいく事の決意とここまで大した傷病も無く過ごして来られた事への感謝を、ご先祖に伝えるという形を取りつつ手を合わせています。

もちろん、私はそんなに信心深い訳でも無く、普通によくある檀家制度の下、菩提寺にある先祖の墓にお参りするだけ、しかも車で5分程度の距離にあるというのに、盆と正月だけの年2回しか行かないので、相当な面倒くさがり屋なのだと自分で思っています。

しかしこの盆と正月、年に2回のお墓参りがバカに出来ないご利益があるのです。

と言いますか、このお墓参りが自分にとってとても大切な時間となっているのです。

1つ目の理由は、子供の成長を感謝する事で、自分が連綿とつづく命のリレーという壮大な生命の物語の一役を確実に担っているのだという思いです。

自分も含めて人は、時に自分の力を過信し過ぎたり1人で生きているという頑なな強い思いを抱いたりしがちだと思います。しかし、両親の、その両親、そのまた両親・・・と倍々に増えていく先祖の誰1人が掛けても、今の自分という存在は生まれてこなかったのだと確認する事ができます。

もっとも、自分の事が大嫌いな時期などもありましたので、そういった命のリレーに何の意味があるのかと、逆になぜせっかく生まれたのに自分はこんな容姿なのだ、こんな才能なのだ、こんな・・・と卑下する時期も無かったとは言いません。しかし、この目もくらむようなわずかな可能性を掴んで生を受けたこの自分という身は、何かやる事があるのではないか?意味を見出せるのではないか?という思いが強くなります。

お墓参りをし、思い出が無いどころか顔すら分からないご先祖から続く命の事を考えると、そう思ってしまうのです。

2つ目の理由は、自分自身に嘘が付けない貴重な時間である、という事です。

普段、社会と接し続けている私たちは、大なり小なり自分に嘘をつく瞬間があるのではないかと思います。

本当は帰りたいのに、帰りますと言えない。断りたい飲み会に行かなければいけない。好きでも無い人にお世辞を言い、逆に好感を持っている人と対立する事になったり。

そういう小さな嘘ももちろんですが、大きなところでは、自分の生き方そのものに嘘をついている事に気付かされる時もあります。

一生懸命仕事をしていると思っていても、手を合わせ、目をつぶり、先祖に向かって、私は今、一生懸命に仕事に打ち込んでいます、と胸を張って宣言できるでしょうか?家庭の絆を大切にする、と口では言っていながら、妻の助けになっているだろうか、子供らに良い背中を見せてあげられているだろうか?表に向かって発信している自分自身の態度と言葉を、本当に心の底から一点の曇りも無く思えているか?やはりご先祖と向き合っているあの瞬間、しかもタイミングの良い事に盆と正月の半年に1回、強制的に振り返る事で、自分の乱れた心をリセットし、新たに謙虚な気持ちで仕事に家庭に、そして社会に向き合う事ができるのです。

これら2つの大切な事は、私自身の心をキチンと冷静に保つための年に2回のルーチンと言っても過言ではなく、非常に役に立っています。

どちらも自分の内面と深く深く向かい合う時間であり、何かの願い事を(特に社会生活での実利を求めるために願う)神社参拝とはまた違った思いが有るのがはっきりとした事実です。

特に私は自営業をしているため、こういった内面と向かいあう時間は非常に貴重です。

というのも、経営者をしているとなかなか自分に向かって本音で行ってくれる人というのはいないものですし、いたとしても日々の忙しさからなかなか会う事もできません。家族という存在は非常にありがたいのですが、身近な存在であり過ぎるがゆえになかなか本音で向き合う事も難しいです。

そういう一見軌道修正のしにくい自営業という立場において、お墓参りは先祖の視点で自分自身の今を見つめられる時間になります。

ホームページをリニューアルしました

やさしいお墓参りサービスのホームページをリニューアルしました